萩原健一といえばショーケン。「マカロニ刑事」。本当にかっこよかった!!
太陽にほえろをリアタイで観ていた世代として、死去のニュースは衝撃でした。
最後まで現役だった萩原健一さん、きっと心は昔のまま若かったと思います。なので、ショーケンをよく知らない世代の人には、若い頃のカッコいい姿を見ていただきたいし、昔を知る同世代にも思い出して懐かしんでほしいと思い、画像を探して集めてみました。
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萩原健一(ショーケン)プロフィール
本名:萩原 敬三(はぎわら けいぞう)
生年月日:1950年7月26日
没年月日:2019年3月26日(68歳没)
出生地:埼玉県北足立郡与野町(現・同県さいたま市中央区)
身長:174 cm
血液型:O型
萩原健一(ショーケン)デビュー時代
埼玉県大宮市でスカウトされ、ザ・スパイダースの弟分バンド、ザ・テンプターズのヴォーカリストとしてデビューしました。ショーケン、17歳でした。高校は2年生の時に中退。
ザ・テンプターズ
1967年10月25日、「忘れ得ぬ君」でデビュー
埼玉の大宮西高校の田中君(g)と高久君(b)がザ・テンプターズと云う名前のグループを結成したのは65年、これに大宮工業高校の松崎君(vo&g)が加わり、当時は女性ヴォーカリストと女性のキーボード奏者もいたという。地元大宮のダンスホール「大蔵」でのステージに飛び入りで参加して歌ったのが聖橋中学3年のショーケンこと萩原健一でいつの間にか正式メンバーになる。
(情報引用:大人のミュージックカレンダー より http://music-calendar.jp/2017102501)
ショーケンというあだ名の由来
若い頃につきあいのあった不良仲間内で、「ダイケン」「チューケン」「ショーケン」と呼び合っていたため。
1968年デビュー当時の雑誌。
(出典:東京都古書籍商業協同組合 「日本の古本屋」より)
俳優へ転身
ザ・テンプターズ解散後、井上堯之、大野克夫、沢田研二、岸部一徳、大口広司らでPYG(ピッグ)を結成。
1972年に製作された松竹映画『約束』での演技が高い評価を得、これを機にPYGの活動を続けながら俳優へと本格的に転身されました。
PYG ショーケン=左から3番目(画像出典:PYG | カケハシ・レコード)
1972年
テレビドラマ『太陽にほえろ!』、『傷だらけの天使』に出演
音楽活動を停止(これによりPYGは事実上解散)
ショーケン=画面左(画像出典:過激で実験的な青春アクションドラマ「太陽にほえろ!」放送開始! | GB)
太陽にほえろ!(1972年〜1986年放送)
1972年のスタートから15年放送が続けられた長寿番組です。
“ボス”こと藤堂係長(石原裕次郎)を中心に、ニックネームで呼び合う東京都新宿区矢追町所在の警視庁七曲警察署(捜査第一課)捜査第一係の刑事たちの活躍を描いたテレビドラマ。
萩原健一は早見淳という新人刑事役で、ニックネームはマカロニ。
スーツが似合うイケメンで、そのニヒルさに男女問わず多くの視聴者が魅了されました。
太陽にほえろ! マカロニ刑事編 DVD-BOXI/DVD/VPBX-11920
最期は通り魔に刺されて死んでしまうのですが、「殉職」は早期に降板したかった萩原さん本人の希望だったとか。萩原さん降板後は、松田優作さんなど多くの新人俳優がこのドラマでデビューしています。
(ショーケンほどタバコが似合う役者もいないと思っている筆者。)
ファンが、かっこいいシーンを集めてTweetしてくれているのでリンク貼っておきます。
1975年からはじまった『太陽にほえろ!』その最初の新人刑事 早見 淳(マカロニ) 演じたのは萩原健一さん、当初はマカロニ刑事の成長する物でしたが、萩原さん降板したいとの事でマカロニは番組がはじまって一年後に通り魔に刺されて殉職してしまう、殉職も萩原さんの希望だったみたいすね pic.twitter.com/zdIYOtFmIq
— キヨタカ (@kiyw7181) 2018年9月28日
波乱万丈の人生
その後、俳優としての地位を確立し、多くの映画・ドラマ・CMで活躍されていきますが、同時に民事・刑事事件も多く、山あり谷ありだったようです。
1975年 音楽活動を再開。初のソロアルバム『惚れた』リリース
以降、音楽と俳優の両方の分野で活躍されますが、俳優としての活躍の方が目立っていたように思います。
出演映画
『八つ墓村』(1977年)
『影武者』(1980年)
『誘拐報道』(1982年/モントリオール世界映画祭審査員賞)
『恋文』(1985年/日本アカデミー賞優秀男優賞)
29か30才頃のショーケン。
アルバム「Nadja3〜エンジェル・ゲイト」(1979年6月)
1980年 いしだあゆみさんと結婚、1984年に離婚
1983年 インド・カルカッタでチャリティコンサート
大麻不法所持にて逮捕され、懲役1年、執行猶予3年の有罪判決
1984年 飲酒運転で人身事故を起こし、業務上過失傷害罪で逮捕
1990年〜 サントリーモルツCM出演、ドラマ『課長サンの厄年』、映画『居酒屋ゆうれい』(1994年)
2004年 再び交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕
恐喝未遂でも逮捕。2005年に懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決
2011年 モデルの冨田リカと結婚
2018年 レコードレーベル『Shoken Records』立ち上げ
2019年3月26日
午前10時30分、都内の病院にてGIST(消化管間質腫瘍)のため死去
最近の萩原健一さんの活動
デビュー50週年を迎えた2017年にはスタジオライブアルバム『LAST DANCE』をリリース。
2018年にも自ら作詞・作曲した新曲を発売ししています。
また、同年NHKのドラマ「不惑のスクラム」「どこにもない国」に出演。
2019年は、NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」に政治家の高橋是清役に配役されていました。
この出演シーンはすでにほぼ収録済で、第25回から登場するそうです。(3/29NHK発表)
2011年から消化管間質腫瘍を患い闘病していたことが、亡くなったと報じられています。
本人の強い希望で病名の公表を控えていたとのことですが、この病気は別名GIST(ジスト)といい、10万人に1~2人の割合しかない希少がんだそうです。
先日、内田裕也さんが亡くなられた時にも、
「非常に残念です。近々、企画書を持って裕也さんと共演することを楽しみにしていました」などと追悼のコメントを出されていましたが、このときもすでにご本人もかなり辛かったのではないかと思います。
ショーケンは、(私見ですが)取り立てて目鼻立ちが整ったハンサムってわけじゃないけど、立ち居振る舞いや雰囲気がなんとも危うげで、この人にしかない独特の魅力があり、好きでした。
8年間の闘病、本当におつかれさまでした。
そしてたくさんの感動をくださり、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。